国立大学2年生 E君の意見



  飛び級に関してですが、完全に肯定的であったり否定的であったりするわけ
ではなくて、しかもまとめられた意見として持っている状態ではありません。
  まず、飛び級の議論をするうえで、その理由として”若者の理系離れ”をあげて議
論されるべきなのでしょうか? 理系離れを軽減するためには、普段の授業を変える
なり工夫するなりしなければ、変わらないと思います。 飛び級を行って影響を受け
るのは「数学・物理」を得意とする人たちだけ(だけというのは言い過ぎだろうけど
極論として)ではないのでしょうか? 逆に、「数学・物理」を得意とする人たちが
飛び級をしてしまったら(これも極論ですが)クラスの中に「数学・物理は難しいも
のだ」という固定観念が定着してしまうのではないでしょうか? なぜならば、それ
を強力に否定できる人がクラスにいないのですから。ですから、もし”若者の理系離
れ”を理由に飛び級を議論するのであれば、僕は反対かもしれません。まず、飛び級
より先にほかの方法を考えるべきだとも思います。
 さて、「飛び級」そのものについてですが、これは良いと思うことと悪いと思うこ
とがあります。良いと思うこととしては、数学や物理、特に数学は早い段階でその能
力が表れやすい分野であるということ。歴史上の数学者までいかなくても、数学の教
授とか数学科に行っている方の話を聞いても数学に目覚めたり、数学の専門書を読み
始めたのは早い時期であることが多いです。で、その読み始めた人というのはそうい
う環境にあったり、きっかけがあったりしたわけで(もちろん能力も多分にあったの
でしょうけど)そうでなかった、能力はあるけれどそういう環境になかった人を導く
という意義の元ならば、飛び級は歓迎されるべきことと思います。
 今度は悪いと思うことですが、飛び級制度がうまく機能するならば、上の理由でよ
いのだけど、結局、理想の制度は作れないのではないかと思うのです。まず、飛び級
制度ができれば、飛び級をした人はそれだけでそれなりの「箔」がつくわけで、実際
の飛び級の利点よりも世間一般にはその「箔」のほうが先行してしまうだろうと思う
のです。だから、その「箔」を求めて飛び級を考える人も出てくるだろうし、飛び級
できなかっただけで将来のびたかもしれない芽をつみ取ってしまうかもしれないとい
うことです。 「良い点」であげた「そういう環境にない人」というのは往々にして、
飛び級などにも縁のない環境にいる人でもあるのかな とも思いますし。
 あとは、数学は確かに能力の開花が早いかもしれないけれど、そこで将来を決めて
しまって良いものかということです。まだ、学問の全体像が見えていない段階であろ
うし、見えてからやることを決めた方がよいだろうし、と思うのです。
 まとまりのない意見をだらだらと書いても仕方ないので、まとめらしきものをして
おきます。今は、飛び級よりも先端の学問にふれる機会を与える場というのを増やし
たほうが良いのではないかと思います。(これは数学に限らず)そして、数学好きな
人々の交流があれば、刺激し会ってよい結果がでるものと思います。「数学好きな子
達の交流」というようなものが経験上貴重であるし大切なものと感じています。
 今の僕が描く理想は飛び級よりもこういうものかもしれません。