泰星高校2年(福岡) 濱野 賢一朗君の意見
私は「飛び入学」については賛成である。
どうも他の人(高校生も含む)の話を聞くと倫理的問題から回避すべきという意見が
多いが、もっと重要な問題と思われることを以下に述べたいと思う。ここでは
T.高校教育の問題点
U.学問としての体系を持つ話題がテーマとして語り合える場
V.高校生にとって大学をどのように利用できるか
W.「飛び入学」選抜の方法
の4つに分けて話を進めたいと思う。
(本文中では学習と学問を使い分けていることに注意)
T.高校教育の問題点
高校数学教育の問題といえばよく新課程の指導要領の不完全さが取り上げられる。
実際新課程指導要領に基づいて作られた教科書は数学としての体系が全くと言ってよ
いほど見えてこない(よっぽど旧課程の方がよかった)。しかし、実は高校教育の本質
的問題点はそんなところにはない。
生徒・教師・保護者といった本来互いに身近な存在で話し合えるはずのこの三者の
中でさえも大きな問題があるのだ。中でも私が一番強く感じていることは教師のいい
加減さである。まず第一に(多くの)教師は「自分の学習はすべて終了しており、もう
何も学ぶことはない(そして自分は偉いのだ)」と思っており、自らも学んでいこうと
いう感覚が全くといってよいほどないことだ。学ぶ意志のないものに教育などできる
わけがない。更にとんでもないことがある。生徒に親身になって学習・生活の面倒を
見たりと一生懸命努力した教師が(学校中のほとんどの)他の教師に"いじめ"られその
学校を辞めざるを得ない状況になってしまった。もちろんその理由は他の教師がその
教師の熱心な姿に腹を立てた(!!)からである。実際こういったことが高校では日常的
に起こっている。こんな中に居たところで到底自分が求める学問の姿など見えてくる
はずがない。それどころか自分の目標を見失いかねない。
もう1点ほど話しておこう。多くの保護者は自分の子供以外が何かにおいて突出す
ることを大変嫌っている。したがって、例えば数学が多少できたりするだけで保護者
間で悪口を言われ、直接嫌みを言ってきたりする。本当に「出る杭は打たれる」のだ。
したがって高校生という束縛された状態では自分のやりたいことを精一杯やることは
ほとんど不可能である。こういった理由から私は高校に1年または2年残って学習した
ところで本当に意味があるのか?と思うのである(教養としての学習などは必要性を感
じたときに独学でやるのも不可能ではない)。少なくとも大学では学問に取り組んで
いる人の姿を見ることができるだろう。
U.学問としての体系を持つ話題がテーマとして語り合える場
実際今高校に在籍していて思うことだが、数学に限らず学問としての体系を持つも
のについて話し合えるような人が高校内にほとんどいない。私は何とかしてそういっ
たことを話せる友人と会おうと試みているが(実際会っているが)、高校の存在が大き
な抵抗となっている。高校生という名目で無理に時間を束縛され、行動範囲を狭めら
れてしまう。したがって当然そういった仲間とコミュニケーションをとる機会が少な
くなる。実際私が知るだけでも(直接知る訳ではない)そういった話をできる高校生は
日本国内に最低でも150人はいるがこのことはその誰もが思っていることだろう。
(ちなみに関東では結構集まりやすいが、地方では到底不可能である。また、こうい
った交流の必要性は語るまでもないだろう。)
V.高校生にとって大学をどのように利用できるか
数学には少なくとも
@1つ1つじっくり考え温めていくこと
A先行的学習によって数理的視野を広げていくこと
の2点が必要であると思われる。@は他の誰も手伝ってやることはできないが、Aは
大学側でのsupportが可能である。確かにAも独学でできるかもしれないが(そうする
ことができる人も多くはいないため)大学以外に手助けしていける機関がないことを
考えると、大学がその役割を果たすべきである。
また、高校と大きく違うのは高校で無理としかいえないような時間の束縛・行動範
囲の規制がなく主体性を十分に発揮することができるであろう(この意味では高校を
辞めるまたはサボるだけでも構わないが社会的な常識の中から相当冷たい視線が集中
するのを恐れる人もいるだろう。)。
W.「飛び入学」選抜の方法
今具体的な提案がされているところを見ると学力試験を選別の一手段として用いる
ということであるが、(大学入試問題のような解答が準備されている)数学の問題はど
うしてもある程度の分類が可能なので(悪い意味での)対策が立てられてしまう。した
がってそうなってしまえば意味がない(塾など講座が増えるだけ?)ので、もし学力試
験を行うのならばテーマを決めてそれについて各自が自由に考えたことを書けるよう
にすべきだと思う。そうすれば数学的能力・センス・常識などの多くの点が見えてく
るだろう。また、面接においても学力だけを見るだけではなく、
・大学生としてふさわしいか?
・学問への意欲・関心・思い入れ
などを話し合うべきであり、一方向に質問しても回答してもらっても何も見えてこな
い。したがって私としては一週間程度大学に実験的に入学させて、その様子を見たり、
(大学関係者との)会話することによって選別するとよいと思う。
もともと勉強ができるものが入るのではなく大学で学びたいと強く思っているもの
を入れるべきなのである(当然のことだが)。
以上をまとめて言うと、現在の高校は学問に興味を持つ学生にとっては束縛されるも
の以外の何物でもない。それどころか本来あるべき学問の姿を見失いかねない。した
がって真の学問がどのようであるのかという疑問を持つ高校生に適切に答えていくこ
とが今大学に求められていることではないだろうか。
本文には補足があります。こちらをご覧下さい。