私立高校3年(埼玉)  T君の意見



  「数学・物理に特別の才能」を持った高校生をどの程度の範囲まで定義しているか
は不明ですが、相当高い基準(「将来数学界において何らかの業績を上げる可能性が
非常に高い」など)を設定している場合、彼らを大学に飛び入学させることで、「若
者を理系に呼び戻す」という計画に効果があるとは思えません。理系に対する興味よ
りも、理系のキャリアに対する欲をかき立てる計画になってしまうと思います。むし
ろ、「興味のある学生なら誰でも」高度な知識を楽に手に入れられる環境づくりを望
みます。

 私達は書籍等から大学での知識を手に入れることは可能ですが、時間的制約から限
界があります。数学や物理に限らず、どんな分野でも、望めば高度な知識を効率的に
手に入れられるようなシステムがあればありがたいと思います。現在、私の通う高校
では、2時限の自由選択の授業を行っています。そこでは、第2外国語をはじめ、様
々なことを専門の方から学ぶことが出来ます。積極的に参加
しない生徒もいますが、そこでかなり高いレベルの知識を習得している生徒も少なか
らずいます。
このようなことは、ソフトの密度を上げれば、現在の学校制度のハードで十分可能だ
と思います。
 私が一番恐れるのは、意欲的な生徒に対する配慮が、「大学への飛び入学を認める
」という措置のみですまされてしまうことです。要約すれば、以下のようになります。

「才能のある生徒に大学への飛び入学を認める」という計画は、古川先生の危惧され
ていたような問題をクリアし、適切な方法をもって行われるならば、意味深いものと
考える。しかし、それは「理系離れ」をくい止めるという計画とは別に考えるべきで
ある。むしろ私は(特定の学問に限らず、)、「大学に入って自分のキャリアを決定
する」というストレスなしに、望めば誰でも大学レベルの知識を得ることができるシ
ステムの構築を望む。

また、これに関連して、以下のことについてさらに意見を述べたいと思います。

「理系離れ」について
「若者の理系離れ」が長い間危惧されていますが、私が高校という現場で見る限りで
は、この認識は必ずしも的を射ていないと思います。若者が「理系離れ」しているな
らば、文系(といわれる)分野の学問は多くの優秀な若者を得て、今までにない発展
をしているはずです。しかし、私の見る限りではそうではありません。現在の若者は
、「理系離れ」しているのではなく、「学問離れ」しているのではないでしょうか。
学問に興味を見いだせないが、キャリアのために高校、大学へと進んだ学生が、その
過程で、実験その他で肉体的に厳しかったり、基礎の段階からから厳密な態度が要求
されたりする理系を避け、消去法で文系を選ぶ、という図式の方が現実に近いような
気がします。だとすれば、「なぜ理系離れするか」より「なぜ学問離れするか」を考
えた方がいい、というのは自明でしょう。

学習指導要領について
私は、「学問離れ」の一因は学習指導要領にもあると思います。それに従って勉強し
てきた者として、学習の道筋の基準を明確に示したものとして学習指導要領は一定の
評価をされるべきだと考えます。しかし同時に、私は、指導要領は、あらゆるレベル
の指導者のために示された、一定の評価を持つお手本であり、学校教育の最低限度を
示したものだと考えるべきだと思います。以前裁判で(「伝習館裁判」という名前だ
ったと思いますが)「学習指導要領には法的拘束性があり、それを下回るのはもちろ
ん、上回ってもならない」という判断が下された、ということを聞いたことがありま
す。なぜ、上回ってはいけないのでしょうか? 「ここまでしか教えてはならない。
」という基準は不可解です。現在まで指導要領は何度か改正されています。そのなか
で、最近の傾向として「徳育重視」と「ゆとり」という言葉がキーワードとしてあげ
られます。「徳育重視」の中身は授業数の削減、「ゆとり」の中身は授業日数の削減
です。自由に学ぼうにもきっかけもバックアップも与えられず、ただヒマだけが与え
られる、このような状況で学問に対する興味が育つはずはありません。学問の場とし
ての学校と、適度な緊張感の復活を望みます。興味があれば、どこまでも学んで構わ
ない。学校も積極的にバックアップする。という状況がくることを後輩のために切に
願います。
(大学入試の問題は文部省の指導要領の範囲内から、そしてそれ以上の知識を持って
いても全く有利にならない、という問題を出すべきです。可能だと思います。)


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